カメラ物販と出会うまでの私
私の本業は柔道整復師です。
41歳の頃初めて デイサービスの機能訓練指導員として仕事を再開しました。患者さんの症状を緩和するための仕事がしたいがために資格を取得したのに整骨院の職場や人間関係に馴染めなかった、この際 柔道整復師として受け入れられる 業態 ならば何でも良いという動機でデイサービスに応募し仕事を始めました。
待遇を優先し、志がない 仕事に従事しても実が入りませんが、幼い頃 田舎の祖父母に育てられ 高齢者の環境にすっぽり収まる期間が長かったので、利用者様との関わりには心地よさを感じる場面は沢山ありました。
歳月が増せば 増すほど人として信頼をしてくれる、他のビジネスの世界にはない魅力があります。
唯一苦手なことは人間関係でした。スタッフ間でのやっかみ、業務のミスのあげつらいや陰口 仕事の愚痴が職場に溢れ 退廃的なムードに嫌気がさしてきました。
迷い、そして母親に看護したいという理由が退職の背中を押す
事業所は広くない
悪口が飛散すると囁き声でも感覚的に自分のことをネタにし批判しているなと察知するものです。
その雰囲気の中に妥協し生きていく人生に対して思いました。
「いつまで働くか」「このまま頑張っても学びはあるか」「貯金はたまるか」答えのない問答をしていた頃、闘病中の母の余命宣告が通達されました。
母親の最期を見取ることを理由に依願退職をしました。 私の柔道整復師としてのの出発点は フットマッサージから始まったものです。
フットマッサージには痛みを緩和する特質があります。赤ん坊、子供、主婦、働き盛り、そして死に向かう人々に対してもニーズはあります。
もちろん 退職理由は看護が口実 ですが、それは 職場環境が嫌になっているとは言いつつもやめる選択の理由にするまで詰めたものではなかった。
逃避に相当するものではないということです。母とは生前から自らの看取りの際には 足裏マッサージを役立ててほしいと互いに約束を交わしていたことが 主な理由です。
過去に戻る事の無性の拒絶とネットワークビジネスの登録
母が亡くなった後、復職する意欲が湧きませんでした。将来性がないデイサービスに戻り、変化のない心境に再び 仕事をはじめ、年を重ねて行くことに恐怖を感じていました。
当時の友人は上京するか結婚。
そこから再び人間関係を地元で発掘する気持ちもありませんでした。地元の人間をバカにしているわけではありません、私の不安も深刻でした、40代からの人間関係を築く基準は残りの人生を豊かなものにするために刺激し合うことが大事と顕在的に意識していたからです。
まずは小さなことでもやったことないことに挑戦することが自分のメンタルを立て直すことから Facebook でアカウントを作り、積極的に 道外の人達フォローし、興味のある人に絡んでいきました。
山陰に在住する ビジネス カテゴリーの若者の記事を読みました。
『望みもしない会社員 生活で心をすり減らせ若さを失わせていく人生を否定する』という内容でした。
自分の思いを 率直に表現するその姿勢の記事に刺激され 自ら連絡を取りました。
発信者の若者は オンラインカジノを商材とするネットワークビジネスの活動をしている男性でした、一緒に活動し 儲けませんか という提案を快諾しお金を支払いました。
専門的な用語を使う 彼は口早な人でした。
頭が悪いと思われたくないから分かったふりをして「はい はい」と反応を返していましたが仕組みの全貌が理解できない
しかしながら、みんなで 稼ぎ自由な時間を手にしようという思いを掲げる若者の集団の中身を投じて行けばいつかは 内容が理解でき稼げるようになる、甘いもくろみで 始めました。
日課は Facebook の投稿をし、夜には オンラインで商品知識の勉強会をするという流れを繰り返す生活。
Facebookは現在は顔出ししていないアカウントがあふれていますが、商材を売る場合は特にアカウントの顔出しをして読み手との不安を払拭して信頼関係を構築するというあり方がマスト。
無形商材の情報を顔を晒し、提案する活動に尻込みをしました。商品知識がないから魅力を伝えようもない、自社のサービスに新台ができないから自信などモテようもありません。
暫くしてネットで検索するとコミュニティから被害を受けたという情報を見るに及び、自分が活動を継続する場ではないと確信し活動をおえました。
カメラ物販をコンサルしている人を知る
Facebook でカメラ 物販のコンサルをしている若者の記事を読みました。
物販とは多種商品のイメージが強く、カメラ特化に限定するビジネスが成り立つのか疑問でした。 しかし、後年、私の師匠となる若者の文章が母子家庭で育ち 自分を大学にまで行かせてくれた、自分のために苦労を続ける人生を選択した母親に恩返しをしたいという文章に、私は共感しメッセンジャーで話を伺う約束をしました。
すでに話を聞く約束を決める段階で『この人を師匠にし物販を教えてもらおう』という決意ができていました。
決定を決める鍵は、人となりを知る上で話し方や考え方を聞き、物覚えが悪ければ 見捨てる という 冷酷な要素を 声色から感じればコンサルは依頼しないと決めていました
また売れなければ 在庫を家の中で抱えることになる、カメラの知識もないこの先 身につけなければならない技術に対しての不安もありました。
師匠にコンサル依頼を決意した理由は、まず話され方でした。
明るいノリでもなく どちらかというとポツポツと対面のセールスに慣れていない話し方、だが カメラで利益100万という実績を築いた。人柄と実績のギャップが逆に嘘のなさを感じました。
facebookの記事をよく思わせるために 脚色はできますが 実際の会話では100%演技をすることはできません。話し方も記事も誠実。この人との出会いを失えば カメラ 物販に挑戦する機会は逃すと感じ コンサルを依頼しました。
当時はもちろん 絶対に稼ぐという意気込みでコンサルを依頼したわけですが、前提として支払ったコンサル代は少なくとも 回収するという気持ちが強かったです。当時はネットワークビジネスにお金を支払い貯蓄残高からお金を減ってしまった、その失った 不安から脱却することが私の最優先事項でした。
頭の悪さを受け止め一から物事を覚える
活動を始めてから、楽ではない ビジネスということを改めて認識しました。出品撮影のために必要なフレームを確保するためにセリアに問い合わせをする、メルカリでアカウントを作り、評価 集めをしカメラを販売する地盤を作る。
一番 情けないのは出品撮影をしたものの画面が真っ暗で調べまくっても理由がわからない。
師匠に聞いたらカメラのフラッシュが上がっていなかったいうことです。
それまで活動してきたネットワークビジネスのように 小手先の記事を書いて人の目にさらすことをしていれば良いというわけではない。
カメラをリサーチし 仕入れ商品を磨き 出品 撮影をする、理屈で学んだことを行動に落とし込んで行かなければお金は発生しない
体を壊したら終わりという不安もありました。
初めて2万8000円の利益を得た
出品してから1ヶ月後 フリルで4万円で仕入れたカメラが6万8000円で購入されました。本当に嬉しかった。時給1万円という世界が存在するということを自らの体験で身をもって知った瞬間でした。師匠に抱きつきたいぐらいの感動に包まれました。
人生は甘くはない戦いは続く
ネットビジネスで稼ぐ経験をするまで1年半がかかりました。
また販売には 機材のトラブルから来る返品。
成約し購入されたものは、良いけれども受け取り評価をされずマネタイズに時間がかかるということも人を相手にしている以上現象として起こります。
ただ そのたびに目くじらを立てて心を疲弊させていれば流れの早いネットビジネスの世界では対応していけません。
つまらない仕事しかできない自分を変えたい。
お金を稼ぎたいという欲求から始めたカメラ物販では自分一人でも ビジネスはできるという実感を身につけることができました。
身につく稼げると言っても実感に稼がなければ信用はつながりません。一度稼ぐことに味を占めた、自分を信用するようになり 日々カメラを仕入れ飽きることなく商品を出品し、活動に落とし込めることができた。
その実感とはお客さんが商品が欲しくなる要素は 被写体の美しさである、被写体を美しく撮影することができればブランド や権威が劣っていても 5割の要素は カバーすることができるということです。
私はどんな商品でもファインダーの中に収まる商品であれば他人の値段よりも 底上げして販売する力を身につけることができるようになりました。
退屈な仕事から解放されたい お金が欲しいという差し迫った状況であったからこそ行動ができました。
私は始めた時が43歳でしたが 人間が未来を変えるには選んだ 選択と自分を信じた上での行動と継続であると感じます。